【MPSニュース】環境への配慮は花き生産者の社会的責任であり、進化である

MPSジャパン株式会社は8月1日に設立20周年を迎えました。そこで、日本国内のMPS-ABC認証取得第一号である、有限会社セントラルローズの大西隆さんにお話を伺いました。日本でMPSを立ち上げた当時の思いと、その後の20年間における花き業界を取り巻く状況の大きな変化、それらに対する生産者としてのスタンスなどをお話いただきました。

(この記事は大西さんへのインタビューをもとに編集担当が取りまとめたものです)

オランダで「花き生産の環境基準」を知り、日本での立ち上げへ

―2006年に「MPSジャパン」が設立され、その直後にセントラルローズ様が国内の『MPS-ABC(花き生産総合認証)』第1号として参加されました。当時の経緯から教えてください。 

大西:きっかけは2000年ごろにヨーロッパを視察したことです。オランダのアールスメア市場を見学した際、オークション画面の生産者番号の隣に「花き生産環境基準」という表示があるのを目にしました。それを見た瞬間、「これは絶対に日本にも来るな」と直感しました。詳しく説明を聞くうちに、これからの時代は環境に配慮した生産を行うべきだと強く感じました。
当時、私はすでにJFMA(日本フローラルマーケティング協会)に入会していたので、小川会長に「こういう仕組みを日本でも立ち上げよう」と提案しました。その後、小川会長が実際に国内でMPS-ABCを立ち上げると決めたとき、発案者の一人として一番に手を挙げたのが始まりです。当時はちょうど施設の増設中で、毎年約150万鉢のミニバラを生産していた頃でした。

身体的負担の大きかったバラ苗の生産から、最先端のミニバラ栽培への転向

―そもそも、ミニバラの生産を始められたのはいつ頃だったのでしょうか。 

大西:1973年に家業を継いだ当初は、ミニバラではなく植栽用や切花生産用のバラの苗木を栽培していました。家族二人で年間20万株を生産していましたが、これが本当に大変な重労働で、特に農薬散布が過酷でした。当時は毒性の高い危険な農薬を使わざるを得ず、ついに1989年か1990年ごろに私自身が体調を崩してしまいました。「このままでは続けられない」と痛感し、思い切って経営形態を転換することを決意しました。
1996年ごろに「セントラルローズ」を立ち上げましたが、それまでに農業試験場のバラ研究者の先生に相談に乗ってもらっており、ヨーロッパの先進的なミニバラ生産会社への視察に同行させてもらいました。そこでは最先端のムービングベンチを使った、大幅に自動化された生産が行われており、大きな衝撃を受けました。帰国後、これと同じスタイルを日本に導入して生産をスタートさせました。

花づくりの「定期検診」としてのMPS-ABC

―環境への高い意識を持ってMPS-ABCにいち早く参加されたわけですが、当時の周囲の反応はいかがでしたか。 

大西:立ち上げ当初は「MPS参加者ネットワーク協議会」の会長を務め、普及活動に努めました。しかし、当時はまだ時期尚早だったのか、他の農家さんにはなかなか理解してもらえませんでした。「年会費というコストを払って、それが販売価格に反映されて回収できるのか」という声が多く、それは今でも言われることですが、当時は特に難しかったです。ちょうどその頃、食用の農作物では違法な残留農薬が問題になり「安心安全」への取り組みが始まっていましたが、食べ物ではない花の生産者は、まだそこまで意識が高くありませんでした。
私は、MPS-ABCを「人間の健康診断や人間ドック」と同じようなものだと考えています。自分の経営や花づくりの定期検診です。「データを定期的に提出して、前回はA判定だったけれど今回はB判定だった。じゃあどこを改善しようか」と見直す。それは、人間ドックの数値が悪かったら生活習慣を改めるのと同じことです。農家にとっては、農薬で河川を汚さないといった社会的責任を果たすための大切な手段と言えます。日本の花き産業の起点である我々生産者がちゃんとしていなければ、その先の市場や小売店まですべて消費者の信頼を失う恐れがありますから、自分としてはきちんとするべきだという信念を持っていました。

―実際に取り組まれて良かったことや、当時の思い出はありますか。

大西:農薬の使用データを細かく取って見直すことで、実際の農薬使用量を減らすことができたのは大きな成果です。ただ、残念ながら「商品の販売価値を上げるための手段」としては、最終的に難しかったと言わざるを得ません。
思い出としては、時期ははっきり覚えていませんが、オランダからMPS財団の総裁が来日された際、東京でお会いした後にこの農場をご案内したことです。まあ実際の通訳や案内はデンマークへ修行に行っていた息子が担当してくれましたが。

激変する20年、コロナ禍がもたらした「結(ゆい)」の喪失

―この20年間で、花き業界にはどのような変化があったと感じられますか。 

大西:ようやくここへきて、花の小売店から「エコ」という言葉が聞かれるようになりました。私が最初に生産者仲間に訴えても広がらなかった環境への意識が、ようやくここまで来たかと感慨深いです。生産現場で農薬やエネルギーを減らすだけでなく、花屋での過剰包装をやめるといった取り組みを通じて、消費者に「環境」という価値を伝えようとする姿勢が見えてきたのは素晴らしい変化です。
一方で、この20年間で花の消費量が大きく落ち込むなど、業界自体は非常に厳しい変化に直面しています。特にここ5年ほど、新型コロナウイルス感染症の流行以降は世の中がガラリと変わってしまいました。
それまで当たり前だった習慣やしきたり、他人との付き合いが希薄になり、自己中心のライフスタイルへとシフトしたように感じます。人と人との結びつき、私はそれを「結(ゆい)」と呼んでいますが、そういうものが失われてしまった。お葬式や結婚式も身内だけで内々に行う形が広まり、人付き合いのためにお金を使わなくなりました。

社会の変化による需要減少の危機を乗り越える、生産者の「進化」

―特にミニバラなどの鉢花は需要の減少が激しく、厳しい現状とお聞きしました。 

大西:人付き合いのためにお金を使わなくなった分、自分の好きなことにお金を使うようになった結果、お花に関しては価格帯の「真ん中」が消えてしまいました。お金持ちが買うような超高級品と、自分のために買うカジュアルなお花の二極化です。
その中で、特に「鉢花」は本当に購入する人が減っています。買った後の水やりが面倒、捨てる時の土の処分に困るという理由から、贈り物として届いても困るという声すらあります。特に都市部での需要激減は深刻です。さらに近年の地球温暖化による夏の猛暑も追い打ちをかけ、ミニバラはますます売れなくなっていきました。
このまま鉢植えのミニバラ一辺倒ではやっていけない。そう確信し、セントラルローズでは大きな経営改革を行いました。冬場の温室の加温を大幅に減らし、バラや草花の「切り花」生産を始めたのです。
一般的な切り花栽培では使われないような品種を、私たちが持つ既存の施設を活用して栽培しています。ムービングベンチを使った底面給水での栽培は、通常の切り花栽培にはない優れた点もあり、これを活かすことで、市場や小売店からの細かな要望に小回りを利かせて応えられる生産体制を目指しています。

―これだけ厳しい状況にあっても、花の生産を続けられる原動力は何でしょうか。 

大西:バラの苗木から始めて、ミニバラの鉢植えに変え、それが今また非常に厳しい状況にある。それでも、やっぱり私はバラが好きだし、これからも続けていきたいと思っています。もちろん、それが経営的に成り立ことは大前提ですが。一時は本当に「ミニバラ生産はすべて中止しなければならないかもしれない」というほどの危機感を持ったこともあります。
時代の変化に応じて、生産者自身が「進化」していくことが何よりも大事と思っています。MPS-ABCのような環境配慮への取り組みも、花き業界にとっての「進化」だと考えています。

かつての学びの場「参加者ネットワーク協議会」の復活を

―最後に、今後のMPSジャパンへの期待や要望をお聞かせください。 

大西:年会費を払い、日々の膨大なデータを取ってMPS-ABCに参加している生産者は、「これらの情報が自分の経営改善にどう役立つのか」を具体的に知りたがっています。
かつては「参加者ネットワーク協議会」という、参加者同士が勉強し合える機会がありました。生産者同士が交流し、お互いの実際のデータを見ながら、「自分の花の生産をどう改善するか」「花屋さんや消費者に環境の価値をどう伝えていくか」を共に学ぶ機会は非常に重要です。ぜひとも、かつての参加者ネットワーク協議会を復活させていただきたい。それがこれからの生産者の力になると信じています。

(インタビュー実施日:2026年8月20日、文責:彦田岳士)